面白い小説 無料体験版 鳥越敦司
タクシーの行く先は
私は五十五歳のサラリーマンの男性です。勤めた会社は不動産会社ですが、今、退職すれば退職金も多く出すという事で、あと二ヶ月したらやめる事にしました。妻は五十歳、娘は二十二歳で今年の三月に四年生の大学を出て、一流企業に就職しました。
ここ数年、景気がよくなってきていましたから職に就けたんでしょう。福岡市の支店だから、割りとうまくいったのかもしれません。娘ひとりだけの私は、何かほっとしました。福岡市は支店だらけの都市です。私の不動産会社は地場の会社ですけど。それで、社長が会長になって、その息子が社長になるという図式でして、自分より若いその男を社長として働いていく、というのも何だかいやだと思っていた矢先の早期退職募集だったんです。
それに私、社内の新入女子社員と恋愛をしてしまって、会長にも白い眼で見られ始めていた。その女子社員は四年生大学出ですから自分の娘と大して変わらない年齢で、名前を栗山若子(くりやま・わかこ)といいます。
若子には私のパソコンのメールアドレスを教えていました。携帯電話も持っていますが、携帯電話は妻がよく休みの日なんかに机の上に私が放置しているのを取り上げて、あちこち見て回るものですから、携帯電話のメールアドレスは教えられません。その代わり、妻はパソコンオンチですから立ち上げ方も知らないのです。それにパソコンは一応、ロックしているので立ち上げても中に入れません。
それで、若子のメールを妻は見れないし、娘は会社の近くにあるマンションに引っ越しました。
若子は背の高いスラリとした体で、胸はそれほどない代りに尻の大きな女の子です。紺色の制服がよく似合います。睫毛が長く、ぱっちりとした眼をしています。どこか陰気な感じがするのは、大学生時代に葬儀屋でアルバイトしていたせいでしょうか。聞いてみると、父親は癌で彼女が二十歳の時に死んでいるそうです。
父親の死後、葬儀屋のアルバイトに面接に行ったら正社員として働かないかと誘われたそうですが、まだ大学に在学中だし彼女は経済学部だから葬儀会社にはそれほど興味もなく、アルバイトとして働いたそうです。
この栗田若子に私は不動産仲介のやり方を一から教えたのですが、そのうち私に頼るようになって何でも私に聞くようになりました。私は秋場春雄(あきば・はるお)というのですが、若子は、
「秋場さん、契約書のここが分からないのですが。」
とか事務所では聞きます。仕事が終わって私が、
「中洲に飲みに連れて行ってあげよう。」
と誘うと、
「嬉しいー。行きます。」
と喜んだので、タクシーで中洲にあるビルの三階のバーでビールを中心に飲んだ事が度々でした。中洲というのは、福岡県福岡市の中心近くにある飲み屋が主に多いところで、ビルの中にはスナックばかりが各階ごとに違った店であるのです。
世界的不況にも中洲は潰れませんでした。かえって東京の銀座の方が、どうにかなったところも多かったらしいですが。
そうしているうちに若子は仕事が終わってからは、私を春雄さん、と呼ぶようになりました。
娘と同じくらいの年齢の社内の女性と付き合う。昔の定年退職の年齢になった私を社内では誰も非難しませんでしたが、会長の耳に入ったらしく、会長は苦々しい目で私を見るようになりました。が、長年会社に貢献してきた私には会長も直接、小言は言わなかったのです。
それに私と若子はキスくらいで、それ以上の肉体関係はなかったのです。中洲のビルの間の細い誰もほとんど通らないところで、飲み屋を出た後でキスしました。ですから短いものです。口を離すと、若子は、
「春雄さん、結婚してくれますか。」
と聞きました。
「いや、僕には女房と子供がいる。といっても、子供は一人娘でもう就職して家を出たけど。」
若子は私の両肩に両手を置いたまま、
「それなら奥さんと別れたら、いいでしょう?」
と言うのです。
「そうしようかな。」
と笑顔で私が答えると、
「そうしてくださいよ。」
と念を押して、若子は両手を私の肩から外しました。
若い若子の唇は滑らかでした。妻とはもう八年も夜の交渉が、ないのです。若子とのキスだけで自分の分身が元気になりそうでしたが、裏路地とはいえ街中ですので押さえました。
その夜、家に帰ると、といっても一戸建てではなく分譲マンションですが、妻に、
「熟年離婚って、はやっているらしいね。」
と持ちかけると、
「なんですか、あなた。わたしたちも、そうなればと思っているんでしょ。」
と抗議する眼をして返答します。
「そういうわけではないけど、登喜子(ときこ、娘の名前です)もここを出たし、」
「じゃあ、わたしにもここを出ろ、というのね。」
「そうじゃなくてさ、おれが出ようか。」
妻は嘲りの目で私を見ると、
「若い女でも、できたんでしょう。図星じゃないの?」
わたしは、ぐっと喉に詰まるものを感じました。さすがに長年連れ添った妻です。まだキスしかしてないのに。
黙っている私に、
「やっぱり、ね。いいわよ、別れても。その代わり、この分譲マンションと年金の半分は、貰いますからね。」
と妻は宣言するように声を出しました。わたしは、きつい条件と思いましたが、
「そうしてくれるなら、考えてみる。」
と答えてしまいました。
若子との新しい生活、つまり新婚生活を私は夢見ました。エプロン姿の若子を思い描きながら会社に出勤しました。若子とは向い合わせの席でした。不動産会社は割りとゆったりしているので、妻の顔より若子の顔の方を見ている時間の方が長くなります。
(これだけ長く見ている顔の方が、本当の妻のようだなー)と私は思ったこともあります。
忙しい時には忙しくなる不動産会社で、休憩の時間とばかりに若子はボンヤリとして私の眼をじーっと見ているのでした。娘と同じ位の年齢とはいえ、一人の成人女性として目の前に座っている若子は、今すぐにでも裸にしてしまいたいほどセクシーなのです。
確かに娘に性欲を感じる父親もいません。妻とも長い間、没交渉で、それが極点に達した時に若子が現れたのです。
運命の神様は、最後に私にプレゼントしてくれたのでしょうか。これから妻と離婚して、若子と所帯を持つ事が私の希望でした。あの若々しい尻の大きな若子を毎晩抱けると思うと、仕事にも力が入りました。
定年退職のその前日、若子からのメールが届いていました。
春雄さん、いえ、秋場さん、定年退職、ご苦労様です。わたしも、あなたとお別れしたいと思います。実は、好きな彼ができたの。歳は彼がひとつ上です。
秋場さんは、なにか、お父さんみたいでよかったけど、キスだけでよかったです。わたしは、今の彼ともうホテルにも泊まったし、避妊もしていません。つまり、よくあるゴムは使ってないという事です。
春雄さんのキスより、いいです。
さようなら
若子より
これを読んだ私の頭の中は、ブラックホールのように暗くなりました。運命の神様は、プレゼントなんかしてくれていなかった。ねえ、わたしと同年代のあなた、若い娘には捨てられるんです。だから、深入りしない方がいい。生理のあがった女房と死ぬまで過ごすのが、いいんだ。どうしてかって、いうと捨てられたショックは大きいからです。
私は生きる希望もなくしました。定年退職の日、若子は休みの日で会社に来ていませんでした。
帰るとマンションの集合ポストには、一通の封書が入っていました。差出人を見ると
栗田若子
となっています。なんだ、メールで告白してきたのに又、手紙ででも、と思いながら背広のポケットに入れ、妻の待つ部屋には戻らずに、マンションを出て日の暮れた車道に近づくとタクシーを停めました。
私より年らしい痩せこけた男性の運転手は、
「お客さん、どちらまで。」
と聞きますから、
「油山まで。」
と言ってみました。油山とは福岡市の西南にある標高六百メートル弱の山で、連山みたいに連なっています。連山は標高はまちまちですが、六百メートル以下のものが多い。タクシーの運転手は、
「わかりました。油山のどの辺ですか。」
「近くに来たら、説明するよ。」
「はい。それでは、しゅっぱーつ。」
と威勢よく声を出しましたが、自分の耳には死への旅路に出るようなものとして聞こえました。そんな私をバックミラーで見たのか、運転手は、
「お客さん、やけに沈んでますね。その雰囲気じゃ、自殺しそうだ。」
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